下の文は、当ウイズダム広東語学院で広東語を習得後香港に留学し、留学先を卒業後、香港に在住していらっしゃる方の文章です。ご家族で香港に住み、香港生活をエンジョイし、お子さんはバイリンガルに育てていらっしゃいます。

男性・社会人(香港在住)
 
 まだインターネットのイの字もなかった頃、ウイズダムの教室で田先生の教えを受けた日々が、今でも昨日のことのようにありありと思い出されます。2000年末に田先生が広東語のHPを開設されたことを知ったときには、あの講義が無料で受けられるなんて、ちょっと納得いかないなーなんて思ったものです。

 でも、先生がHPで仰っているように、インターネットのサイトで発音を習うことは不可能ですし、その他の説明にしても、もし文字にするとすれば少なくとも数万枚にはなるわけですから、納得行くも行かないもありませんよね。
 
 実際、発音についても考えてみても、あの授業がインターネットで再現できるはずもありませんね。先生は先ず私たちに日本語の発音について詳しく説明してくださいました。何回も日本語の母音などを発音したのを覚えています。発音しながら,これが一体広東語の発音勉強に何の役に立つのかなんて疑問に思うひまもないほど、迫力と興奮に満ちていました。

 生徒に日本語の発音について理解させたあと、広東語の発音がその日本語の発音とどのように違うのかを,とても明快に説明してくださいました。そしてその後、先生は一回もモデル発音をせずに、私たちに発音させました。本当に1回も手本を示さずにその発音が出来るのか?

 ところが何か魔法にでもかかったかのように、最初の1回目から、ほぼ正確な発音が私の口から出てくるのです。そしてその先の、発音の微調整のときにも、先生は極力モデル発音を我慢し、「説明」によって生徒を正しい発音へと導くよう努力されていました。

 でも、先生の授業の物凄さは、この説明の凄さだけではありません。それだけでは今の私の広東語も、ここまでのレベルになっていなかったのではないかと思います(大したレベルではありませんが、それは私の努力不足に過ぎません)。先生のもう一つの物凄さがあったからこそ、私のような勘の悪い人間にもまともな発音がマスターできたのだと思います。
 
 もう一つの物凄さと言うのは、発音を聞き取り、分析する能力の物凄さです。今でも忘れられないのは、5〜6人の生徒が同時に発音しても、先生はそのうちの誰の発音がどのように間違っていたかを、正確に指摘なさることです。先生が説明なさっているときに、生徒が声を出さずに呟くように言った発音でも、「あっ、今の**さんの発音は、舌が上顎に付いていませんでしたよ。必ず付けて下さいね」等と指摘されるのです。もう人間離れした神業としか思えません。

 先生のきちんとした、周到な説明を聞いて、そのとおりに発音しているつもりでも、、私のように語学の才能のない人間は一発では完全な発音になりません。そのときに、先生は私の発音を注意深く聞き、私の舌の位置が、或いは舌の形が、声帯が振動し始めるタイミングが、どのようになっているから発音が狂ってしまうのだということを、正確に、わかりやすく指摘、説明してくださいました。

 発音している本人ですらわからない、他人の口の中のことが、なぜ先生にはお分かりになるのか、今でも不思議です。

 神業で思い出したことがあります。先生は当時かなりの近眼で、美人が歩いていても分からないと仰っていましたが、先生は授業中、ご自分で説明しながら、急に「あっ、**さん、そうじゃなくて、ここではこの字を使うんです」と、数人いる生徒の書いているノートの書き間違いを指摘なさることが度々ありました。生徒が驚いて「先生、そこからノートの字が見えるんですか?」と聞くと、先生は笑いながら「見えるわけないですよ」と仰っていました。

 まだあります。以前習ったことを生徒が忘れていると、先生は「**さんは、教科書の第**課の左側のページの上の方にメモしていましたよ」と、書いた本人すら覚えていないことを、事も無げに指摘なさることも、何回か目にしました。

 単語の意味用法にも多くの時間を割いて説明してくださいました。でも、今だから白状してしまいますが、私はウイズダムで初めて広東語を習ったため、上に述べたようなことがどれほど特別なことなのか、発音や単語を理論的に説明していただくことがどれ程有り難いことなのか、その当時はまだ実感していませんでした。

 私が香港留学を考え、先生にご相談したところ、先生は大賛成してくださり、香港での生活で気をつけるべきこと(当時は香港に就いての情報も余り手に入りませんでしたので)、香港での勉強の仕方等、わざわざ授業とは別に時間を割いて話してくださいましたが、そのとき先生が何度も仰っていたのは「香港の学校での授業には、決して何も期待してはいけない。何かを期待していけば必ず落胆します。この教室で説明しているようなことは、香港で聞けるとは思はないで下さい」ということです。

 私はこの点をよく納得して香港に行ったつもりでしたが、結果的には余りの落胆に、国際電話で先生に泣きを入れたのも1度や2度ならず、日本に戻る機会があると必ず先生のところにご相談に伺いました。

 香港では安全を考えて、入門クラスから入りました。同級生の日本人はは広東語が初めての人は全くおらず、日本で広東語を習ったことの有る人ばかりでしたが、授業が始まってみて、私は初めて自分がウイズダムで受けた教育の有り難さが分かると同時に、同級生が可哀相になりました。

 なぜかと言えば、彼らは発音も声調も完全に狂っているのですが、彼らがそのことに気付くチャンスも修正されるチャンスも、彼らが今後何年香港に住もうと、絶対にないと思われるからです。彼らの発音や声調が狂っていることは香港人の先生にも分かります。ですから、矯正しようとして何回か模範発音をして聞かせるのですが、全く改善されないので、諦めてOKを出してしまうのです。生徒は本当にそれでOKなのだと思い込んでいます。

 ウイズダムで取り立てて苦労もなく発音を習得した私は、それが当たり前だと思っていましたが、香港に留学して初めて、それが「当たり前」のことではなかったのだと気付いたのです。お恥ずかしい話です。


 先日お電話したところ、ウイズダムのサイトに卒業生の声を掲載する予定があることを知り、不出来な生徒ではありましたが、私の一文も載せていただいて、まだウイズダムでの学習をご存知ない方にその一端を知っていただきたいと思いました。ウイズダムの授業をご存知ない方には、大袈裟だとか、べんちゃらだとか思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、上に書いたことは全て事実であり、実感です。正直に申し上げて、広東語を身につけたい方が田先生の授業を経験しないのは(ということは、これほど素晴らしい授業があるということを知らないのは)本当に不幸なことだと思います。

 田先生のサイトを拝見すると、先生の理論も、私がウイズダムで広東語を勉強していた頃より更に一段と発展しているようにお見受けします。機会があったら、また先生の授業を受けられたらいいなあ、と夢見ています。

 最後に、私が田先生から薫陶を受けたことのうち、広東語は、本当を言えばごく一部に過ぎません。日本に帰ると、空港から先生のところに直行する方もいらっしゃると聞いていますが、不思議ではありません。私も人生の師だと思っています。

 私の駄文を最後までお読み下さった皆様に感謝いたします。有難うございました。