次の文は、90年代半ばに当ウイズダム広東語学院を卒業され、香港に留学し、現在香港で活躍されている女性が、仕事で帰国された折に当ウイズダム広東語学院に立ち寄られ、香港に戻られてから送ってこられた文章です。
落ち着きと優れた感性を持ち、日本的な淑やかさの中に強靭さを秘め、香港の社会の中では特異な存在でしょう。

先週の火曜日、5年ぶりに千川駅に降り立ち、かつて通い慣れたウイズダムへの懐かしい道を辿って・・・いるつもりでしたが、記憶を頼りに歩いていたら、重度の方向音痴症の私は道を間違えて、曲がるべき角を曲がらず、はるか先まで歩いて行ってしまっていました。それでも最終的に何とかたどり着けたのは、ウイズダムの田先生から発せられる強力な吸引力のおかげだったかもしれません。
 
大学時代に中国語をやっていたので、社会に出てから何か習い事でもしようと思い立ったとき、一般の方なら英会話でもと思うのでしょうが、私は中国語でも、と考えました。そして、北京語は市販されている教材や辞書も多いし、どうせ語学学校に通うなら独学が難しそうな広東語にしようと思ったのです。早速語学学校が紹介されている本を購入して各学校を比較検討し、数校をピックアップしました。
 
そうして真っ先に問合せの電話をかけたのがウィズダムでした。今、思い返してみても不思議というか、いえ、ものすごい幸運だったといっても過言ではないかもしれません。おそるおそるだったのか、割と大胆にだったのか、もう忘れてしまいましたが、とにかく電話をかけてみると、時間帯が良かったのか、出てくださったのは偶然にも田先生ご本人でした。

受付のお姉さんの明るい声を期待していた私は少し怯んだのですが、「あの〜広東語コースについておききしたいんですけど」と切り出しました。そうそう、「おききしたい」のは私のほうだったはずなのに、広東語の学習歴とか使用した教材とか、逆にいろいろきかれてしまったのを覚えています。

そうして電話を切った後、私は次の候補校へはもう電話をしなかったのです(先生との会話で力を消耗したからではありません)。ウイズダムに即決したのは、デン先生の広東語教授に対する熱意に惹かれ・・・と言いたいところですが、正直に申し上げると、それよりも、使う教材がSidny Lawの「Elementary Cantonese」だと聞いて、それならもう持っているので新たに買わなくてもいいという点が決め手となりました(だって、広東語のテキストって高いでしょ?)。でも、さらに年月を経て思い返すと、どういう動機だったにしろ、やはりこれは運とか縁とかいうものだったに違いないと思うのです。

後になって同級生に聞いてみると、電話して、住所などを伝えて案内書を送ってくださいと頼んでおいても、いくら待っても何も送られて来ず、もう一回電話して待っていても、待てど暮らせど送られて来ない。三度目の正直で電話して、ようやく送られてきて、入学できたなどという人が大部分でした。一回の電話で入学できた私は、やはり縁があったのかもしれません。

仮に運良くパンフレットを送ってもらったとしても、パンフレットに書ける量はほんの少しで、詳しい考え方や教え方までは入学してかなりの期間経なければ分かりません。その状態でウイズダムに決めるのは、やはり「縁」と言うしかないでしょう。その点今の方は幸せです。田先生にもウイズダムにもHPが有り、何回も電話して案内書が送られて来るのを何ヶ月も待つまでもなく、HPを見るだけで考え方の深いところまで全て知ることが出来るのですから。

田先生の授業の素晴らしさについては、すでにこちらに寄せられている方々のメールに詳しく紹介されています。付け加えさせていただくなら、発音についての先生の教えで印象に残っているのは、「大人が外国語を学習するとき、ただ音を聞いて真似するのではいけない。どのような口の形や舌の位置でその音を出すか常に意識して発
音しなければならない」という言葉です。言われてみれば確かに、正しい口の形で音を発すれば、正しい発音ができるわけですよね。(ホームページを拝見すると、田先生の理論は当時より更に精巧になっているようで、私も再度授業に出席したいです。)

そして発音指導はもちろんですが、語彙や文法の説明も素晴らしいのです。日本人にとって理解しにくい語彙や、使いこなしにくい文法などについて、短くて、核心を突いた、面白い物語にして説明してくださいます。するとその光景が頭に浮かび、素早く完全に理解でき、これもまるで魔法にかかったかのようにすぐ使いこなせるようになります。「肯」と「敢」、「驚」と「怕」の違いなどの名解説は、いまだにはっきり覚えています。

先生のおっしゃることは聞き漏らすまいと、でも聞いただけで覚えられる自信はないので、いつも必死でノートをとり、おかげさまですっかりノートをとるのが速くなりました。今でも同じように説明なさっているのでしょうか。
 
先生の授業を素晴らしいと感じれば感じるほど、その一方で、こんないいものを人には教えたくないという矛盾した気持ちもあります。でも時々、ぽろっと秘密を漏らすように人に教えてしまうこともあります。以前、「広東語を勉強したいんだけどどこかいい学校はないかしら」という人にウイズダムのことを教えたことがありました。

でも田先生の授業の素晴らしさは到底私の口では説明しきれません。ただ「いい先生なの。すごいのよ」と言ったって何も通じないですよね。結局彼女は自宅に近い他の学校に通い始め、1年後に香港で再会したとき、「全然上手にならないからやめちゃった」と言っていました。もし、あの頃田先生のホームページがあったら、彼女と広東語の関わりはもっと違ったものになっていたかもしれないと思います。

こうしてこのホームページを見ていらっしゃる皆さんは、人に教えてもらったとか、偶然見つけたとか、いろんな経緯があると思います。ウイズダムの卒業生・在校生は、おそらく私と同じく先生の素晴しさをよくわかりつつも、だからこそ他人にはこのことを教えたくないという人ばかりなのではないかと想像します。そんな中でこのホームページにたどり着き、ホームページを通して田先生の理論に触れられる、ひいては直接先生に教わる機会をも得られる皆さんは(私も含めて。私は今でも田先生のホームページの質問箱や掲示板で色々と教えていただいています。私が誰だか分かりますか?)とてもラッキーだと思います。

先生のすごさは、費やした時間やお金が決して無駄にはならない授業を受けられるという点だけではありません。ウイズダムを離れてからもずっと続いていく、後をひく良さがあります(うまく言えませんが)。

私自身、先生の下を離れて香港に来てから、何の努力もしなくても毎日広東語のシャワーを浴びていられるという環境に甘んじてしまい、徐々に広東語学習に対する真摯さが失われてきていました。そんなところに田先生のホームページが開設され、改めて先生の理念に触れ、すっかり初心を忘れてきっていた私は、緩みきった気持ちにざばっと冷水を浴びせられたようでした。

まだまだ未熟者なのに日々の地道な努力をすっかり怠っていたことに気付かされました。そこで先日仕事で帰国した際に、冒頭の5年ぶりの訪問となったわけです。5年前と全然変わらない先生とお会いして、久しぶりに直接お話を伺って、またウイズダムに戻って学んでみたいという気持ちを強くしました。香港で仕事を持つ今の状態では昔のように毎週通うことは不可能ですが、幸い短期集中コースも設けていらっしゃるとのことで、そのうち休みをとって是非在校生復帰を果たしたいと思っています。(終)


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