下の文は学院である程度広東語を学習したあと、香港に移住して会社を経営している方から送られてきた文章です

このサイトをご覧の皆さんのほとんどは、ウイズダム広東語学院=エリート集団というイメージを持っている方が大部分で、「自分なんか到底、、、」としり込みされる方も少なくないと思います。

このページに文章を書かれている方々は皆さん優秀な方ばかりで、田先生が超本気モードの人を世界中から集めたいと思っておられるのも確かではあります。その学院のサイトに、落ちこぼれの私が文章を書いても、学院のイメージダウンにしかならないかとも思います。

しかしながらこの恐ろしい文章で埋め尽くされたサイトを見て入学してくる人ばかりの学院でも、猛烈なモチベーションを持って驚異的な成果を上げる人もいれば、そうでない人もいるというのも事実なのです。

まだ学院に入学していない方たちに学院の全体像を知ってもらうという意味から考えれば、その全体像を構成している一部として、私のようなケースもあるということを知ってもらうということも、それなりの意味があると思い、寄稿することにしました。

私の文章を読んで、反面教師として捉えてくださってもかまいませんし、「半端じゃない」ことで知れ渡っているウイズダム広東語学院といっても、お気楽な存在が許されないわけではないんだという実例として受け取ってくださっても構いません。

それでは本文に入ります。

香港へ移住してあっという間に4半期が過ぎました。現在はこちらの拠点の立ち上げで必死の状態が続いています。

数年前広東語を習おうと思ったのは極軽い気持ちでした。周星馳や、Infernal Affairsを見て言葉の音に惹かれたからです。また、香港で起業したことでなんとなく広東語もわかっていた方がいいかな、、、程度の動機でした。

人にはそれぞれ言葉を習う動機があると思います。私の場合、一番の動機は「ビジネスで関わっているから」ではありましたが、仕事では全く広東語を使う機会がなく、仕事も生活も英語で事が済んでしまいます。

逃げ道があるというのも、「動機としてはあまり強くない」という心理的な言い訳になってしまい、クラスでは常に落ちこぼれで、2年通いましたが常に低空飛行でした。

言葉というのは、継続的で地味な暗記作業に尽きるということは他の言葉を今までに学んで来て、理解はしているつもりでしたが、それが足りず、ダメダメなままで移住となってしまい、改めて、今まで週に一度通うことの出来る、手に届くところにあった環境を振り返ると、反省やら後悔やらが湧いてきます。

こうして香港に移住しても、ウイズダム広東語学院で受けていたような授業を受けることができる可能性は全くありません。また、しっかりとした実力を付ける方途が全くないということを切実に実感している今だからこそ、はっきりと断言できます。ウイズダム広東語学院は、本当に稀有で特別な、それでいて門戸が開らかれている

The one and only place to study

です。

だからこそ、ウイズダム広東語語学院に通うことができる条件がありながら、それでもウイズダム広東語学院に通わない人がいるということは非常にもったいないと思われます。

先生は授業でも、またサイトでも、香港へ留学したり、住んだり、現地で学校に通うことよりも、ここ(学院)で学ぶ方が遥かに効率よく、正しい広東語が手に入ると仰っていましたが、全くその通りで、こちらに住んだところで、自動的に話せるようになるという要素は微塵もないことを改めて実感しています。

確かに、住むことによって広東語に接する機会は常にありますが、その受け皿としての語彙力、文法の理解力、発音する力がなければ、吸収のしようがありません。とても残念です。

ある程度の所まで来ていれば、この環境を生かすことも出来るのですが、私の場合、新しく入ってきた知識を蓄えられるような器を自力で作る所まで行けず、ほとんど流れて行ってしまいます。

現在、一番の学びの場所は、ローカルの赤バスです。大声で伝えなければ、行きたいところに行けない、降りられないので、耳を澄まして、他の人の表現を真似して、「バス停お願いします!」とか、「どこどこでおります!」と伝える緊張感が楽しい。あの緊張感の下の学びはさすがに吸収せざるを得ません。

大声で叫ぶと最初の頃は外人だとバレて、降りるときに顔を見られましたが、最近は大丈夫です。

何食わぬ顔して降りられるようになってきました。しかし、自分の家まで帰るのに乗ったタクシーで行き先を3度聞き返されるとさすがにへこみますね。とは言っても、聞いてみると相手の言葉が訛っているんだな、ということもしばしばです。

ああ、後悔する時にはすでに遅しです。

言語を空気のように習得できる年齢の子供であれば香港にいるだけで言葉の習得もあり得るのかもしれません。しかし、既に日本語を使って久しく生きており、意識していない日本語の癖や枷が多くあります。

それがどれ程強烈に私の無意識の言語環境を支配しているか、そして自分がこれ程までに徹底的に支配されているのだということ、これは学院の授業に参加して初めて知ることができる驚愕の事実でした。

外国語の学習プロセスは、その母語(私の場合は日本語)の支配から脱却するプロセスに他なりません。そう言ってしまえば簡単ですが、具体的にどの部分にどのような支配が及んでいるのかは、自分では知りようがありません。

その日本語の発音環境や思考の枠の外に一旦出るという作業は、ウイズダム広東語学院の環境でしか為し得ないと言わざるを得ません。

落ちこぼれ低空飛行の私が、極めて限定的な言葉や表現を使うと、必ず機関銃のように話しかけられてしまいます。とても残念!その後が続かない!

学院での学習はダメだしの連続です。しかし先生は父性の厳しさで発音の違いを説明し、納得させ、理論から正しい発音まで導き、母性の忍耐力で同じことを繰り返し繰り返し指摘してくれ、美しい広東語にまで必ず到達させてくれます。

動機の十分に高い人であれば学院以外、現地などに行く必要はないと思います。

動機の低い人は学校に行く前にその動機を高める作業、もしくは、高めざるを得ない方向に持っていく必要があると思います。

しかしそこさえ押さえていれば、行先はウイズダム広東語学院しかありません。

私は後者でダメダメ生徒でしたが、発音だけは繰り返しビシバシ鍛えられたからでしょう、割と良いようです。それなのにしゃべれないの?なんて顔をされます。

あとはその中に入れるソフトや、データを放り込めばいいだけなのですが、、、現在は生きていくことが最優先で、その精神的、時間的余裕が作れずにいます。

でも何とかしたい、近いうちに復活します。

その時はよろしくお願いします。